MENU

そうまでして生きていたいか・・認知症の母の命の判断を、代わりにした日のこと

介護する側のメンタル・本音 そうまでして生きていたいのか

母のひとりごとが増えたのは、いつ頃からだっただろう。

鏡に向かって話しかけている。

縁もゆかりもない有名人と、まるで旧知の仲のように。

聴き役になったり、話し役になったり、交互に。

体は健康だった。

よく食べ、よく歩いた。

外から見れば、どこも悪くない。

でも私の知っている母は、もうそこにいなかった。

可哀想だと思えれば、楽だったかもしれない。

でも正直に言うと、そんな気持ちにはなれなかった。

目次

自分の終活を考えていたのに、気づいたら母の分を答えていた

介護する側のメンタル・本音 自分の終活を考えていたのに、気づいたら母の分を答えていた

介護を始める前、私は自分の終活について考えたことがあった。

  • 延命治療(胃ろうなど)しなくていい
  • 最期は自然に任せて逝かせてほしい
  • お葬式は火葬のみ、お墓は不要で海洋散骨を希望

でも母に、そのような話を聞く機会は来なかった。

聞こうとしたときには、もう母は答えられる状態ではなかった。

鏡の前でひとりで芝居をしていた母に、「延命治療はどうしたいか」と聞いても、意味をなさない。

見学のときに、その施設だけが話してくれたこと

介護する側のメンタル・本音 見学のときに、その施設だけが話してくれたこと

特養の入居が決まるまで、いくつかの施設を見学した。

入居した施設は、最初の見学のときにチェックシートの説明をしてくれた。

延命治療をどうするか、最期をどこで迎えたいか。

正式な名称はわからない。

施設によって呼び名も形式も違うらしい。

他にも何か所か見学したが、そういう話が出た施設はそこだけだった。

最初は重い話だと思った。

でも今思えば、それが誠実さの証だったのかもしれない。

看取りをどう考えているか。その一点だけで、施設の姿勢はかなり分かる

施設の設備や立地だけでなく、この話を最初にしてくれたことで、ここの施設が良いと安堵するものがあった。

施設への入居が決まったとき、そのチェックシートを記載して提出した。

延命は必要ない。

自然な看取りを希望する。

手は止まらなかった。

泣きもせずに、ただ淡々と・・

自分の終活で考えていたことが、そのまま母の欄に収まった。

それでいいと思った。

いや、正確にはそれ以外に何も思えなかった。

「次に徘徊したら、警察に頼まなくてもいいかな」と思っていた

介護する側のメンタル・本音 「次に徘徊したら、警察に頼まなくてもいいかな」と思っていた

母は何度か徘徊し、そのたびに探した。

警察に連絡したり、近所を歩き回った。

見つかるまで、ゾワゾワする気持ちがずっと体に張り付くような感じ・・

ある時期から、私はこう思うようになっていた。

次に徘徊したら、警察に捜査を依頼しなくてもいいかな、と。

どこかに行ってしまいたくて、母がいなくなるなら。

それはそれで、人生なんだろうと。

冷たい人間だと思うかもしれない。

でも、うんざりしていたのだ、6年間、ずっと・・・

延命もしなくていいと思っていた自分の気持ちと、警察に頼まなくてもいいと思った気持ちは、どこかでつながっていた。

整合性が取れる、という感覚だった。

これは母を憎んでいたということじゃない。

ただ、限界だった。

そして、母自身ももしかしたら、どこかへ行きたかったのかもしれないと、思っていた。

当時の私は相当疲れ切って、自分が生きていくこともネガティブでしかなかった。

誰も正直に言わないだけで、同じことを考えた人はいると思う

介護する側のメンタル・本音 誰も正直に言わないだけで、同じことを考えた人はいると思う

在宅介護の現場では、言えないことがたくさんある。

  • もう終わってほしい
  • このまま施設で静かに逝ってくれたら

食べて、寝る。

また食べて、また寝る。

体は動いている。

でも私の知っている母は、そこにいない。

理性も、記憶も、まともな会話も、もうなくて、本能だけで生きているようにしか、見えなかった。

もうゾンビに近いとさえ思った。

そうまでして、生きていたいのだろうか。

声に出したことは一度もない。

でもその問いは、毎日そこにあった。

そういうことを口にすると、鬼のように見られる。

だから誰も言わない。

でも、思っていないわけがない。

6年間在宅で看て、限界になって、チェックシートに淡々と答えた私は、鬼だろうか。

そうは思わない。

ただただ、「分岐点にいる人」だったと思う。

本人の意思がないまま、すべての判断は子どもがする

介護する側のメンタル・本音 本人の意思がないまま、すべての判断は子どもがする

元気だったころの母は、自分の最後について何も言わなかった。

「延命はしないでくれ」とも、「最後まで生かしてくれ」とも。

だから私は、母が何を望んでいたか、知らない。

鏡に向かってひとりで芝居をしていた母が、今の自分の状態を理解していたとしたら、何と言うだろうか。

それを想像したところで、本音なのか分からない。

本人の意思がないまま、すべての判断が子どもに来るのが現実だ。

だからこそ、元気なうちに話しあっておくべきだったと思う。

答えは出ない。でも問いを消してはいけない

介護する側のメンタル・本音 答えは出ない。でも問いを消してはいけない

「どこまで生かすか」という問いに、正解はない。

でも、この問いを「なかったこと」にしたまま介護をするのは、親にも子にも不誠実だと思う。

介護に縛られることなく、親も子も生きていける社会になってほしい。

それがどういう社会かは、まだわからない。

でも、こういう本音を誰かが言い続けることが、その第一歩になるんじゃないかと思っている。

渦中にいると、何が正しいのかわからなくなる。

どれを基準にすればいいのか。

罪悪感と葛藤が、ずっとついてくる。

でも今、少し落ち着いて思う。

親孝行は、きっと子供だった私があの頃にもうしていた。

介護という形だけが、親孝行じゃない。

自分に置き換えてみれば、わかる。

子供が元気でいてくれれば、それでいい。

母もきっと、同じだったんじゃないかと思う。

言葉にできなくなっても、その気持ちだけは残っていたんじゃないかと。

きれいごとじゃない話を、正直に。

同じように考えてきた誰かに、届けばいい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

要介護3認知症の母を6年間自宅で介護
徘徊・糞尿・夫とのギクシャクに限界を感じ、母を特別養護老人ホームに入居する決意をし、無事入居へとつながった
現在は、子ども2人は独立し・夫と2人暮らし

目次