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母の親友に、変わってしまった母を見せるということ

認知症介護の記録 母の親友に、変わってしまった母を見せるということ
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70年も続いた友情を、羨ましいと思っていた

70年も続いた友情を、羨ましいと思っていた 認知症介護の記録 母の親友に、変わってしまった母を見せるということ きっとこれが最後の再会 70年も続いた友情を、羨ましいと思っていた

母には、小学校のころからの親友がいます。

70年も続いてきた関係。

その存在を、私はずっと羨ましいと思っていました。

その方は今も驚くほどしっかりしていて、 言葉も考え方も、ぶれない人。

だからこそ、母との違いが、時間が経つほど際立ってきました。


「また今度ね」が、どんどん遠のいていく

認知症が進んでからは、約束しても忘れてしまうことが増えました。

会う約束も何度も流れ、「また今度ね」と言いながらその今度が遠くなっていく・・

要介護度が上がり、デイサービスなどフル活用して、親友と会う機会も物理的になくなってたのですが。

ようやく叶った再会で、私が感じたこと

去年、私も同席する形で、母と親友は再会しました。

本当なら、懐かしくて温かい時間のはずでした。

でも正直に言うと、その場にいた私は、落ち着かない気持ちでいっぱいでした。

うまく言葉にできないまま、ただその場の空気を感じていました。

やたら饒舌に話す母に、ひとりイラ立っているのを感じながら。

仲がいいからこそ、つらい?

長い時間を共に過ごしてきた相手であればあるほど、「変わってしまった姿」を見せることが、さぞかしつらいのか、と。

そんなふうに思っていました。

母は昔のようにスムーズに話せるわけではなくて、言葉が噛み合わない瞬間もありました。

それでも親友は、何もなかったかのように、自然に接してくれていた。

その姿が救いでもあり、胸に刺さるものでもありました。

「変わってしまった姿を見せること」を、あんなに気にしていたのは、私だけだったのかもしれません。

母はきっと、親友にどう見られているかなんて、気にしていなかった。

気にしていたのは、全部、私でした。

それに気づいたとき、少し笑えるような、でもやっぱり切ないような、不思議な気持ちになりました。

慣れた手つきの優しさに、救われて、苦しくなる

後から知ったのですが、その方にも認知症のお姉さんがいるそうで、 母とのやりとりもどこか静かな慣れた対応でした。

乱れず動じず、ただそこにいて話を聞いてくれる。

その姿に安堵しながら、 同時に胸がぎゅっと締めつけられました。

「この人には、こういう経験があったから、こうできるんだ」 そう思ったとき、なんとも複雑な気持ちになりました。

隣の芝生は青く見える、と分かっていても

食事をして、その後、ご自宅にも少しお邪魔しました。

整えられた暮らしと、穏やかな空気の中で、ふと考えてしまいました。

もし母が、あの方のように年齢を重ねていたら—— 私たちは、もっと違う関係でいられたのかもしれない・・

きっと、その人にはその人の大変さがある。

隣の芝生が青く見えているだけだ、とわかっています。

それでも少し、羨ましかった。

それが正直なところです。

「これが最後かもしれない」という予感

帰り道、心のどこかでそう思っていました。

「きっとこうして会うのは、これが最後なんだろうな」と。

根拠はなかったけれど、なんとなくそういう気がしていました。

本音を言うと、早く家に帰ってビールでも飲みたいと思っていました。

親友とまだ会えるうちに会う機会を作れたという、どこか「任務完了」みたいな気持ちも、正直あったので。

そのせいか飲み慣れたビールの味なのに、いつもよりも美味しいと感じました。

施設入所を伝えた日

時が過ぎて母は特養に入所し、2ヶ月とちょっと経った今日・・

あの親友の方に、ようやくそのことを伝えました。

直接話せず、留守電になってしまったけれど・・

電話を切ったあと、ふと考えました。

認知症になったら、これまで積み重ねてきたものは、全部なくなってしまうのだろうか、と。

それでも、消えないものがある

母は忘れてしまっても、その親友の中には、変わらない母がいる。

一緒に笑った時間も、 何気ない日常も、全部その人の中に残っているはず・・

消えるのは、「思い出す」という機能であって、「あった」という事実ではない。

そう思い直すと、少しだけラクになれる気がします。

おわりに|形が変わるだけで、終わるわけではない

おわりに|形が変わるだけで、終わるわけではない 認知症介護の記録 母の親友に、変わってしまった母を見せるということ きっとこれが最後の再会

ぎこちなくても、 会話がかみ合わなくても、「会えた」という事実は、 きっと意味があったのだと思いたい。

関係が終わるのではなく、ただ、形が変わっていく。

そう思えたら少し救われる—— でもやっぱり、つらいものはつらい。

長く続いてきたものが変わっていくのを見ることは、 簡単に受け入れられることじゃない。

認知症は、本人だけでなく、その周りの関係も、少しずつ変えていきます。

でも、消えるものと、残るものがある。

あの再会の日の空気や、 親友の静かな優しさや、 自分の中にある複雑な感情は、

きっと、残るものの一つだと思っています。

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この記事を書いた人

要介護3認知症の母を6年間自宅で介護
徘徊・糞尿・夫とのギクシャクに限界を感じ、母を特別養護老人ホームに入居する決意をし、無事入居へとつながった
現在は、子ども2人は独立し・夫と2人暮らし

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