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介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話

要介護1から3へ、徘徊、糞尿、オムツ——想像していなかったことが次々と起きた。

そして2026年2月、母は特別養護老人ホームに入居した。

この記事は、そんな母のことを書いたものだ。

目次

母について

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話 母について

プロフィール

生年1941年生まれ
診断アルツハイマー型認知症(2020年2月、79歳)
要介護12023年4月(81歳)
要介護22024年3月(82歳)
要介護32025年5月(83歳)
施設入居2026年2月(84歳)
職歴介護福祉士(50代後半まで勤務)
家族構成母子家庭(娘=筆者のみ)

認知症の進行と施設に入るまで

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年月(母の年齢)出来事
2020.1 (79)精神科受診・MRI検査
2020.2 (79)アルツハイマー型認知症と診断
2023.3 (81)区役所に「介護認定申請書」提出
2023.4 (81)要介護1」認定
2023.9 (81)居宅介護支援事業所が決定
2024.3 (82)要介護2」認定
2024.5 (82)デイサービス週1回
2024.6 (82)デイサービス週3回
2024.9 (82)徘徊/警察①
2024.11 (83)徘徊
徘徊/警察②
徘徊
2024.12 (83)徘徊
徘徊/警察③
徘徊
2025.1 (83)デイケアを週1回追加
2025.5 (83)要介護3」認定
2025.6 (83)月21回デイサービス、週1回デイケア
「特別養護老人ホーム入所申し込みセンター」(横浜市港南区)で5施設へ申し込み
2025.10 (84)布団の中で糞尿まみれ
2026.1 (84)3施設に見学(面談)
見学した「A施設」から入居OKの連絡
2026.2 (84)「A施設」入居
あきな

あぁ、大変だったなあ・・

私と母のこと

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話 私と母のこと

母は50代まで介護福祉士として働いていた。

高齢者の介護を仕事にしてきた人間が、自分が介護される側になる

今思うと、なんという皮肉だろうと思う。

でも当時は、そんなことを考える余裕もなかった。

私が12歳のとき、父が病気で亡くなった。

それ以来、母と私の二人暮らしだ。

母の実家に身を寄せる形で生活してきたが、家族と呼べる存在は、ずっと母だけだった。

あきな

私はひとりっ子で、母とはなんでも話せる関係

友達のような感覚もある、そういう間柄だったと思う。

私が結婚してからも、少ない年金でひとり暮らしをしていた母と同居することは、迷わず選んだことだった。

ひとりっ子だし、夫も了解してくれていたし、母に持病があるわけでもなかった。

同居が最適解だと疑わなかった。

まさか数年後に、こんな形で介護が始まるとは思ってもいなかった。

そんな母が、79歳でアルツハイマー型認知症と診断された。

介護のプロだった母

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話 介護のプロだった母

母は50代後半まで、介護の現場で働いていた。

介護が必要な人たち毎日向き合い、その方たちの生活を支えることを仕事にしていた人だ。

介護がどれほど大変か、認知症がどういう病気か、人よりずっとよくわかっていたはずだ。

だからこそ、自分が認知症になったとき、母はどう感じていたのだろうと思う。

本人に聞いても、もうわからない。

でも、母が長年介護の仕事を通じて積み上げてきたものが、最後には自分自身に向けられることになったのだという事実は、私の胸にずっと残っている。

最初の異変

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話 最初の異変

母の異変に気づき始めたのは、70代後半の頃だった。

  • 同じことを何度も聞く
  • 昨日の出来事が思い出せない
  • 本人はいたって普通のつもりでいる

「年のせいかな?」と思いながらも、どこか引っかかるものがあった。

介護福祉士として働いてきた母を知っているからこそ、「これは普通のもの忘れとは違う」と感じた。

2020年1月、精神科を受診した。

医師の言葉は「年齢よりボケている」だった。

そして2020年2月、MRI検査の結果をもとに診断が下りた。

診断名 アルツハイマー型認知症

診断後、母はどう変わったか

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話 断後、母はどう変わったか

診断を受けてからすぐに、劇的に何かが変わったわけではない。

母はしばらく、自宅で普通に生活できていた。

自分でトイレに行き、食事をし、日常の多くのことをこなせていた。

多少の尿漏れはあったようだが、母なりにショーツにトイレットペーパーを入れて対処していた。

誰に教わるでもなく、そうやって尊厳を守ろうとしていた。

認知症と診断されても、すぐに「何もできなくなる」わけではない。それが現実だ。

ただ、少しずつ、確実に変わっていった。

2023年

要介護1の認定

2024年

要介護2になり、デイサービス利用開始

デイサービスに通うまでには、一悶着ありました。

徘徊が始まる

徘徊 7回の内訳
  • 3回 警察に捜索依頼
  • 4回 家族やデイサービスのスタッフさんで発見

2025年

要介護3認定となり、ひと月の利用回数最大の21回デイサービスに通う

布団の中で糞尿にまみれているのを発見(本人に自覚ナシ)→オムツ生活

2026年2月

特別養護老人ホームに入居

介護する側になって思うこと

介護福祉士だった母が、介護される側になった——認知症になる前と後の話 介護する側になって思うこと

母は介護のプロだった。

だからといって、私の介護が楽だったわけではない。

むしろ「介護のプロだった人がこうなるなら、誰でもなりうる」という現実を、誰よりもリアルに感じながら介護していた気がする。

「介護はやってみた人にしかわからない」とよく目にするが、本当にそうだ

肉親だと、なおさらで割り切れるポイントがない。

これが義母だったなら、夫にサジを投げて済んだかもしれない。でも相手は実母だ。

同居を選んだのも私で、施設に入れる決断を下せるのも、結局私しかいなかった。

誰かに任せることも、逃げることも、できなかった。

「なんでも話せる人」だった母は、「なにも話が通じない人」になり今は施設で暮らしている。

施設に入居してもうすぐ2か月になる。

振り返ると、懐かしさもある。

でもだからといって、またあの生活に戻れるかといったら、正直無理だと思う。

それが冷たいことだとは思わない。

それだけのことが、あの6年間にあった。

このブログは、そんな母との6年間の介護記録。

きれいごとは書かない。

でも、母のことを正直に書いていきたいと思っている。

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この記事を書いた人

要介護3認知症の母を6年間自宅で介護
徘徊・糞尿・夫とのギクシャクに限界を感じ、母を特別養護老人ホームに入居する決意をし、無事入居へとつながった
現在は、子ども2人は独立し・夫と2人暮らし

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